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 東北CPAニュース

第52事業年度臨時総会

臨時総会・記念講演・本部会務報告・懇親会

宮城県会長 赤石 雅英

 平成29年9月15日(金)14:30より、宮城県仙台市の秋保温泉「伝承千年の宿 佐勘」にて、第52事業年度東北会臨時総会が開催された。本人出席者57名、委任状提出者134名の合計191名の出席という事で、当日の議案審議に必要な定足数は満たされた。

 当日の式次第としては臨時総会の後「記念講演」、「本部会務報告」、そして「懇親会」へと進む。臨時総会の審議事項、報告事項は会員に送付済みなので、今回は紙面の都合上敢えて記述しないが、若干の質疑応答の後、議案は可決された。審議の可決にご同意いただきましたこと、ありがとうございました。また関根会長の本部会務報告も時間通りに報告して頂いた。会の進行にご協力いただき、ありがとうございました。

 私は東北会総務委員会担当幹事であることから臨時総会の司会をさせて頂き、さらには広報及び業務充実委員会担当幹事であることから「北海道会との交流会」についても本東北CPAニュースに寄稿させて頂いている。あまりにも私が前面に出過ぎており、会員の皆様には目障り・耳障りかと存じますが、今回の私からの臨時総会報告は、ほぼ1年前から宮城県会役員と共に歩んできた「舞台裏報告」とさせて頂きたいと思います。

 3年間の県会長在任中に、持ち回りの臨時総会が担当県で開催されるか否かは、各県会長にとっては悩ましい問題だと思う。身の不幸を嘆かれる方と「それは面白い。どんな企画にしようかなあ。ワクワク!」と思われる方に分かれるのかもしれない。私は明らかに後者である。考えてみれば、そのような県会長に引きずられる県会役員は気の毒だ。基本的に手弁当の仕事である。役員会開催後は「夜の国分町」でのご接待を心掛けた。

 会員の皆様の印象に残る臨時総会の主題は何がふさわしいかを考えた。私の独断と偏見で①女川、②笑顔、③若さと元気をテーマとした。

 まずは女川。震災後6年と半年を経て、女川町は目覚ましい復興を遂げている。私は小さい時から父親に連れられて女川周辺の魚釣りに何度も出かけており、津波後に「あそこの場所がこうなってしまった。以前はこうだったのに...」という思い出がたくさんある場所だ。また昨年の福島大会で福島原発の見学がエクスカーションとなっていたが、あちらは東京電力、こちらは東北電力である。私の高校同期生には様々な分野で活躍している人間が多数いて、彼らからの情報を総合すれば東北電力の女川原発が今回の震災を無事に乗り越えられたのは決して偶然ではなく、地元で原発を稼働させることを前提とした関係者の危機管理に対する弛まぬ努力が生んだものと考えていた。今回は関根会長が来る。昨年の福島原発の見学にも参加している。ここは関根会長に女川原発を見学して頂き、「福島では不幸な事故が起こってしまったが、宮城は違うよ」という感想を全国の会計士に発信してもらおうと考えた。

 記念講演は女川復興の音頭取りである須田善明女川町長にお願いしようと考えた。彼なら復興に当たり、あまり公けにはできない困ったことをどのように解決してきたかを語れる人だと思っていた。まずは正面突破で町の総務課に問い合わせたところ、ちょうど総会開催日は町議会日程と重なっており、難しいという返事があった。県会役員から代替案として女川復興に係ったNPO法人や役場の方とのパネルディスカッションというアイデアも出たが、私の独断で却下。先頭に立って様々な困難を自分の思いで克服した人間の話を聞かないと意味がない。しょうがない、あまりやりたくないがコネを頼りにする。須田さんは宮城県議会議員から震災をきっかけに女川町長となった人物である。私の高校同期生に元宮城県会議長がおり、彼を通して須田さんに直接依頼した。結果はOK。公認会計士協会の会長が女川訪問するのだから「公務」として特別の計らいをして頂いた模様。持つべきものは友である。

 須田町長の記念講演は期待通り、いや期待以上の講演だった。まず明るい、そして若々しい。女川町の小・中学校を出て石巻高校から明治大学へ、電通東北を経て平成11年から県議会議員を3期務めたが震災直後の平成23年11月に女川町長へ転身、現在47歳。この経歴を見ただけで女川の復興に須田氏が欠かせない存在であることが判る。

 聞けば街づくり計画は2社のコンサル会社からの提案を受け、いずれも自分としては不満足だったが「期限も迫っていることから」一度は一方の案で了解。役場職員の混乱は承知していたが、「やはりこれではダメだ」と気を取り直して「両方却下」し、自分がイメージしている復興計画をもう一度皆で作り直そうと提案した。女川駅を中心とした、昼間人口が最大化する街づくり。駅から海へと続く商店街の通路は、「初日の出」をどれだけ美しく見せるかを計算してレイアウトされたもの。ひそかにブーム化しつつある「クリスマスイブの花火大会」。海の近くは商店等の事業所を集積させ、住宅地は「山を切り崩して、余計なお金をかけて開発する」。街づくりを人任せにせず、自分自身の過去と将来の子供たちへの橋渡しを念頭に置いて、自分が愛する「新しい女川町」をイメージしてそこに突き進む。同じ港町塩釜市出身者としては、女川町民が羨ましい。

 須田町長の講演に感動したのも束の間、メインイベントの懇親会の始まりだ。会場を佐勘としたのも私からの提案。以前母親と二人の姉兄、の4人で宿泊したことがあり、何と言っても宮城県内の旬の食材をふんだんに使った食事がおいしい。特に朝食がおいしかった。今回の臨時総会は、その食事に合う日本酒も揃えようと考えていた。宮城県内の酒蔵限定で、あまり有名ではないし大吟醸でもないが、若い杜氏が誠実に酒造りをしているお酒(小金澤と日輪田の山廃純米酒)を中心に選んだ。皆様、お味は如何だったでしょうか?

 アトラクション第一弾はベガルタ仙台チアリーダーによるチアパフォーマンス。私の税務の顧客が楽天球場の年間ボックスシートを持っており、年に何度かネット裏で観戦の機会がある。ネット裏だとチアガールの(おへそを出しての)パフォーマンスは見応えがあり「若いって素晴らしいなー。見ているこっちが元気になる」と思っていた。という事で楽天チアガールを当初考えていたが、9月15日は楽天の試合があり、出演不可。宮城県会役員から「(サッカーの)ベガルタもチアがありますよ」とのサジェスチョンでベガルタチアガールに決定。いやはや、こちらも想像を超えた楽しいパフォーマンスでしたね。よくあれだけの時間、体を動かし続けられるもんだ。懇親会の席順はくじで決める。私の席はステージから2番目の「かぶりつき」だった。なんだか私だけ幹事特権で良い思いをしているようだが、そうではありません。あくまでも偶然です。記念撮影も良かったですね。笑顔と若さにあふれたひと時だった。

 アトラクション第二弾は神戸在住の腹話術師「福小介」氏のパフォーマンス。彼の父親が日本の腹話術師の草分けで、「日本で二番目に有名な腹話術師です」が彼の自己紹介。一番はもちろん「いっこく堂」だが由緒正しい腹話術師は彼だ。自分の親に対する反発があったものか、若いころは吉本に所属し「光genji」のバックでローラースケートを履いて踊っていた。何がきっかけかは知らないが、あるいは親の技を自分が引き継がずに誰が引き継ぐのかと思ったのか、今では全国を駆け回って腹話術を広げる活動も行っている。こちらも私が偶然に1年前に仙台で彼のステージを見たことがきっかけ。その時はとにかく腹を抱えて笑った。涙を流してこんなに笑ったのは久しぶりだった。絶対に臨時総会に呼びたいと思った。彼はたまに仙台に来て、腹話術教室もやっているので、興味のある方は彼のHPをご覧ください。こちらで悩んだのは、最後のお面を被ってのパフォーマンスを誰にお願いするかだ。結構とんでもないことを腹話術で語るので、人選に悩んだ。私が出ても良いのだが、実はまじめな人柄とかけ離れた腹話術による語りの乖離が面白いのであって、私では「やっぱりな」と思われるのであまりつまらないと思えた。最後は「齋藤副会長だったら突然振っても怒らないよねー」という事で幹事の中では齋藤先生を指名する事が決まっていた。「どなたかステージに出てきて頂ける方いらっしゃいますかー」と問いかけた。「誰も手を上げないよな。それでは齋藤先生お願いします」と言おうと思った瞬間、「ハイ!」と尾町先生の手が上がった。パフォーマンスで会場は爆笑の渦となった。尾町先生、ありがとうございました。先生が適任でした。

 さて、翌日の女川原発見学も須田町長を経由してお願いしようかとも思ったが、またまた高校同期生に東北電力の遠藤淳一君がいることを思い出した。原発で何かトラブルがあると彼はいつもテレビの前で頭を下げている。彼と会うたびに「遠藤君、またテレビで謝ってたねー、会社のために頭を下げて、あなたも気の毒だねー」とお互いに笑いあっていた。(赤石)「遠藤君、お願いがあるのよ。会計士協会の臨時総会があって俺が責任者なんだけど、原発の見学をしたいんだ。できればPRセンターだけでなく、建屋内部の見学もしたいのよ。協会会長が昨年福島の原発見学にも行っていて、防護服着て内部も見学したらしい。俺としては、東北電力は違うぞって言いたいんだ」(遠藤)「ちょっと待ってくれよ。建物内部は現在部外者立ち入り禁止で、見学者はバスの中から建物外部を見学するルートしか用意していない。ちょっと考えさせてくれ。動いてみるから」数日後(遠藤)「上を説得して了解をもらったよ。震災時は自分が原発の副所長でそこに居たんだ。その時に女川原発で何が起こったかは、自分が一番詳しい。自分がセキュリティー責任者として皆様を案内する。その代り自分を含めて15人限定なんだけど、それでいいか?」(赤石)「参加者14人限定かあ、俺としては人数制限はかけたくない。できるだけ多くの会計士に女川原発の実情を知ってもらいたい。もし参加者が14人を超えたら、参加者を内部見学組と外周部見学組に分けるしかない。でもそれはこちらで何とかするから、お願いします!」(締切日)神様って居るみたいだ。参加者確定人数は14名。参加者が少ないなあ、という思いは否めないが、これで参加者全員が建屋内部の見学までできた。

 震災の日に女川町は壊滅した。みぞれ交じりのお天気で、被災者は行き場を失った。女川原発は敷地高さ14.8M(地震直後は地盤沈下で13.8M)に13Mの津波が押し寄せた。1号機設置当時の想定津波の高さは3Mであったが、東北地方を襲った869年の「貞観津波」等を参考にして敷地高さを14.8Mに決定した。また港側には海水ポンプやモーター類を設置せずにピット化する等の工夫もされていた。これらは「津波銀座」三陸沿岸ならではの先人の知恵であり、これを謙虚に受け止めた電力会社に感謝。福島原発は米国GE製で、米国の激甚災害はハリケーン。電源類の多くはハリケーンに飛ばされないように平地か地下に設置するのが標準であったと聞く。しかし日本の激甚災害は津波である。女川原発は東芝製で東北電力の様々な要望に応えることができたのかもしれない。これらの施設面の工夫と現地職員の適切な対応により、女川原発には何のトラブルもなかった。強固な建物と非常時対応の水や食料があり、暖も取れることが口コミで広がり、PRセンターに町民が殺到した。余震や津波の危険性はあったが電力側では敷地内の体育館にまで避難者を誘導し、3月11日から6月6日まで避難所として活用された。

 ワイドショーでは「原発は事故が発生した時のリスクが極大になりすぎるからダメだ」という理由で原発再稼働に反対し、それに呼応するように立地自治体の知事が原発稼働反対を叫んでいる。「環境リスク学」の著者中西準子氏によれば、「リスク(危険性)=ハザード(被害の大きさ)×頻度(確率)」であるという。簡単に言えば、原発事故のリスクは交通事故のリスクより小さい。リスク・ゼロを実現したいならば、ハザードをゼロか確率をゼロにするしかない。現代の人間生活に「リスク・ゼロ」は存在するのか?リスク・ゼロを実現したければ車に乗ってはいけない。人間にできることはハザードの大きさをできるだけ小さくする、あるいは発生確率を低く抑える努力をして「リスクの極小化」を図る事ではないか。津波や地震の発生確率は人間にはどうしようもできない。人間にできることは原発事故から発生すると考えられるハザードを最小化すべく、弛まぬ努力をすることではないのか。女川原発に関する東北電力の努力は、上記の「ハザードを最小化」する努力なのではないか。福島原発の東京電力は今までこのような努力をしたのか、あるいは今後するのか。

 原発事故後、日本ではすべての原発を停止し、代わりに石油や天然ガス等の化石燃料による電力供給にシフトしている。化石燃料による二酸化炭素の排出が温室効果ガスとなり、地球温暖化を招いている、という話はデマか?日本は震災以降、大量の二酸化炭素を排出して、地球温暖化という「ハザードを大きくしている」、あるいは「ハザードが起きる確率を高めている」のではないのか。遠藤君の話を聞き、また何時再開されるのか判らないのに、地震と津波対策に明け暮れている工事現場を見学しての感想だ。私は決して原発推進論者、あるいは東北電力の回し者ではない。ただ、物事をできるだけ合理的に考えたいと思っている(須田町長は原発に関する話は一切されなかったが、今度お話をしてみたいなあ)。

 今回の女川訪問で一番苦慮したのは食事だ。1年前のテレビ番組で「女川温泉 華夕美」の女将さんが登場し、9月は「女川サンマ尽くし」フェアを開催しているという事を知った。番組での女将さんの笑顔が素晴らしく、「行ったことはないが、来年はここにしよう」と決めていた。念のために遠藤君にも事前に相談していた。(赤石)「食事は、本当はマリンパル女川の隣にあった橘寿司が自分としてはお勧めだったんだけれど、津波で無くなってしまった。どこかいいところ知ってる?」(遠藤)「橘寿司は良かったよね、電力でも東京から偉い人が来たり、出前を取る時にはよくお願いしてたよ。でも人数が14人程度までなら地場の魚料理を出す他のお店もあるけど、大人数の場合には女川には受け入れてくれる店がない。華夕美の女将さんはよく知っている。電力でも大人数の宴会の時は華夕美を使っていたけど、今まで問題は無かったのでいいんじゃない?」(赤石)「じゃ、電力の遠藤さんもご推薦という事で、女将さんに会ってくるよ」。以下、事実のみを述べる。

 8月25日に「すがわらのリーフパイ」を手土産にアポなしで華夕美訪問。ネクタイ姿の男性職員が対応。「9月16日に予約しているものですが、女将さんいらっしゃいますか?」「女将はグループ内の移動で今はここに居ません」「それでは支配人さんいますか?」「支配人は居るんですけど、今、手を離せなくてご紹介できません」「判りました。では食事の場所を見せて下さい」という事で、万石浦を一望できる食事会場を見学した。評判通りの景色だ。海面に太陽の日差しが反射し、キラキラと輝いている。ここで食事をすれば(料理の良し悪しはさておき)心が癒されるであろう。「この会場は広いので(50人以上か?)当日は他のお客様もご案内しますが構いませんか」「テーブルを別にして頂ければ構いません」。

 不幸は重なる。今年はサンマが不漁で、「9月16日には女川産のサンマを出すことができない可能性が高い、サンマなしでもいいですか?サンマをご所望であれば他から仕入れることはできますが」との連絡があった。「サンマなしでも、地場の良いものを出して頂ければいいです。量は要りませんから質重視でお願いします」と答えた。

 当日、時間が予定より遅れて華夕美到着。「昼食会場は、こちらの個室となります」「あれっ?万石浦が見えるレストランで食事のはずですが。支配人は居ますか?あるいは8月25日にお邪魔した時の男性職員さんは居ますか?」「どちらもいません。我々はこちらの個室でお食事して頂くように言われています」会場変更を「ごり押し」することも考えたが、止めた。あとから聞いた話だが、手配担当の宮城県会役員に「個室でも良いか」という問い合わせがあり「個室でも良いと答えてしまった」とのこと。最終確認をしなかった私の責任だ。食事終了後に、秋田県会の綿貫先生に「本当はこちらの会場でお食事して頂く予定でした。素晴らしい眺めですから景色だけでも見て行ってください」と言った。「本当に良い景色ですね。あそこで食事をしたならどんなに美味しかったでしょうね」と仰った。私も食事後にレストランを覗いてみたら、時刻は14:00過ぎにも拘らず各テーブルには食事のセットが手配されていた。

 (以下は、私の勝手な想像に基づく独り言です)「この人数は、おそらくはツールド東北関係宿泊者の夕食対応か。なーんだ。従業員の自分たちが楽をしたいから、レストランには入れたくなかったのね。我々が昼食の最後なので、我々が終われば自分たちは夕食対応まで休めるもんね」

 (以下は事実)バスガイドさんは「昼食にも拘らず、到着前に玄関でお出迎えされたのは初めてです。素晴らしいお宿ですね」と華夕美の対応を褒めていた。

 (以下は私の独り言)「それはマニュアルに書かれているからやっているだけで、従業員全員がおもてなしとは何かを理解していない。この宿の唯一の売りはレストランからの景色でしょう。それに言ってもあまり理解してくれなそうだから、あんまり言いたくもないけど、普通は手土産持参で事前にあいさつに来てるんだから、先日はありがとうございました、って支配人が来るだろう。責任者出て来い!おじさんは怒ってるんだあ」

 いやはや、お見苦しいところをお見せしました。申し訳ございません。橘寿司がどれほど良かったかは今回は説明できません(その話を聞きたい方は、赤石が個別にお答えいたします)。それと華夕美の対応を比べると情けなくなってしまって…

 いずれにしても私が責任を持つ「一生に一回」の臨時総会は無事に終了した。これもひとえに、我儘な私を補佐してくれた古川直磨先生、持木直樹先生、齊藤貴彰先生、千葉吉暢先生の各宮城県会役員の皆様のおかげだ。皆様が将来県会長となって臨時総会や北海道会との交流会を企画しなければならない、という時のお役に立てればと思い「舞台裏報告」を書きました。皆さん、何時までも若さを失わず、笑顔で生きて行きましょう。さあ、宮城県会の忘年会は「沢田研史(仙台のジュリー)」でも呼んで華やかにやるかなー!

以上


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